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トップハート物語(3775)立志伝敢闘編
17/10/12
2011年(平成23年)3月20日。
 『東京電力福島第1原発3号機への放水作業を行った東京消防庁のハイパーレスキュー隊の第1陣が19日夜に帰京し、主に同隊で構成する緊急消防援助隊の佐藤康雄総隊長(58)=東京消防庁警防部長=ら3人が会見した。佐藤総隊長は、隊員が受けた最大の放射線量が27ミリシーベルトだったと説明し「幸い隊員139人の安全を確保し、連続的で大量の水を注入するミッションを達成できた」と安堵(あんど)の表情を見せた。
 現地では放水用の屈折放水塔車を、3号機の壁まで約2メートル、核燃料プールまで約50メートルの場所に止めて作業したという。
 特殊災害対策車で周辺の放射線量を測定し部隊の展開も考えたとされる冨岡豊彦・総括隊長(47)は「通常の訓練とは違うが、このメンバーであれば(任務を)クリアできると確信した。一番大変だったのは隊員ですね」と語った後、言葉をつまらせた。やや間を置き「隊員の家族に(心配をかけて)本当に申し訳ないとその場でおわびとお礼をいった」とつらそうに語った。
 高山幸夫・総括隊長(54)は原発敷地内で給水車と放水車の間約350メートルを、1本50メートル、重さ100キロのホース7本でつなぐ手作業を指揮した。「見えない敵との戦い。いかに隊員を短い時間に安全に(作業をさせる)、というのが大変だった」と振り返った。一番長く活動した隊員の作業時間は約1時間に及んだという。
 また、佐藤総隊長は石原慎太郎都知事から派遣命令があった直後、妻に「これから福島原発に出動する」とメールし、妻から「日本の救世主になってください」と返信があったことを明らかにし「(今は)ゆっくり寝たいです」と話した。
 海江田万里経済産業相は19日、東京電力福島第1原発について、国や東電が廃炉を前提に対応するよう原正夫・福島県郡山市長から電話で要請されたことを明らかにした。同日の会見で廃炉への考えを聞かれた海江田経産相は「運転再開できるような状況だと思いますか。今そんなことを考える人は誰もいない」と、廃炉の可能性もあることを示唆した。
 また、東海地震の危険性が指摘される中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)について、東日本大地震を受けて緊急停止を求める声があることには「休眠状態の火力発電の再開にも取り組んでいるが、供給が追いつかず大規模停電は避けなくてはならない。今は(福島第1の)被害を最小限にとどめることに努める」と話した。
 福島第1原発事故で全域に避難指示が出された福島県双葉町の農協職員、古室正一さん(56)ら家族6人が古里を離れ、19日、岐阜市の県営住宅に入居した。東日本大震災の津波で自宅は流され、父一(はじめ)さん(77)は行方不明のまま。放射能漏れトラブルで避難所から避難所に移動を余儀なくされた末の決断だった。「一度家に戻った時、なぜおやじに『逃げろ』と言わなかったのか。すぐにでも捜しに行きたいのに」。心は落ち着かないままだ。
 古室さんの自宅は海岸から約100メートル、同原発から約10キロ離れた所にある。11日、双葉町内の勤務先で激しい揺れに襲われた古室さんは自宅と妻の勤務先に車を走らせ、家族の無事を確認した。だが再度、家へ戻ろうとした時には、自宅周辺の建物はすべて津波に流され、家にはたどり着けなかった。
 同町内の避難所で再会した家族の中には、同原発内の関連企業で働く長女の田中梢さん(29)もいた。「壁も天井も落ちてきた。こんなことになるなんて」
 その後、避難指示地域が拡大し、3カ所の避難所を転々とした。15日、車で岐阜県各務原市に住む親戚の元へ身を寄せた。
 19日昼の引っ越しは、通帳などの入った小さいバッグと、避難所で借りた毛布を運んだだけ。田中さんも慣れない土地で2歳の娘を育てなければいけない。「『放射能に汚染された町』と思ってほしくない。子どもが差別されないかも心配」と不安を口にした。』

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