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トップハート物語(3770)立志伝敢闘編
17/10/10
2011年(平成23年)3月19日。
『菅首相(民主党代表)が東日本巨大地震と東京電力福島第一原子力発電所での事故を受け、自民党の谷垣総裁に原発問題担当相としての入閣を要請していたことが18日、明らかになった。
 谷垣氏側は拒否した。
 これに関連し、民主党の岡田幹事長は同日、国会内で開いた「各党・政府震災対策合同会議」で、閣僚の3人増員を柱とする内閣法改正を提案した。3ポストは原発問題担当と復興担当、被災者支援担当が念頭にあるとみられ、野党側も大半は増員には賛成する方向だ。
 谷垣氏への入閣要請は、首相周辺から関係者を通じて自民党幹部に伝えられた。谷垣氏側は「入閣は大連立と同じで、責任の所在が不明確になるだけだ」として拒否した。
 これを受け、首相は与党から新ポストへの起用を目指す意向だ。仙谷由人官房副長官や国民新党の亀井代表らの名前が取りざたされている。
 岡田氏は合同会議で、副大臣、政務官、首相補佐官を増やすことも提案した。
 東日本巨大地震で千葉大の岩瀬博太郎教授(法医学)が岩手県陸前高田市の死者126人の死因を調べたところ、9割が津波による溺死だったことがわかった。
 死因の8割が建物倒壊による圧死・窒息死だった1995年の阪神大震災と対照的で、地震そのものよりも、その後の津波が被害を広げた実態が浮き彫りになった。
 同市内で13~16日に遺体の検視にあたった岩瀬教授によると、犠牲者の9割は死亡した後に骨折したとみられることなどから、溺死と判断した。
 屋外で見つかった約90人のうち、4割程度が肋骨(ろっこつ)や首、手足を骨折していた。時速30~40キロ以上の車にはねられたような強い衝撃を受けており、激しい津波で流された木材や家屋、車などにぶつかったとみられるという。
 また、高齢者を中心に約50人がシャツや上着、ジャンパーなど7~8枚を重ね着。印鑑や保険証、写真アルバムを入れたリュック、非常食のチョコレートを持った人もいた。岩瀬教授は「逃げ遅れたのではなく、避難準備をしていたにもかかわらず、想定を超える津波に巻き込まれたのではないか」とみる。
 東日本大震災の被災者を救援するため、日本赤十字社医療センター(東京)から宮城県に派遣された平塚圭介医師(35)が18日、時事通信の取材に応じた。現場で目にしたのは、経験したことのない惨状と感謝の心を忘れずに必死に生きる人々の姿だったいう。
 平塚医師は地震発生2日後の13日から16日まで、同県石巻市の石巻赤十字病院で診察に当たった。最初に目に飛び込んできたのはフロアにあふれる約500人の被災者の姿。「本当に悲惨としか言えない状況で、桁違いだった」。床に横たわる人、ジャージーに革靴の男性―。津波で運ばれて来たヘドロや汗のにおいが鼻をついた。
 まず、正面玄関のひさしの下にテントをつくり、自力歩行が可能な軽傷患者の診察を始めた。中には点滴などで使用するベッドを四つ置き、常時10人以上を受け入れた。時折、救急搬送のヘリコプターの音で、患者の声すら聞こえなくなった。
 明るい話題もあった。孤立化した地域から助け出された子どもが、わが子を捜していた両親と病院で数日ぶりに再会した。周りの歓声を聞きながら、泣くまいと涙をこらえた。
 一番つらかったのは、診察が終わって患者を送り出すとき。「この人たちはどこにも連れて帰ってもらえないんだ」。そう思うと胸が張り裂けそうになった。寒さもこたえた。日赤のユニホームの上に防寒着を着込んで対応したが、テントとはいえ屋外での診療。患者だけでなく、医師らの体力も奪った。「一番必要だったのは暖房器具と燃料」。そう振り返る。
 「こんな遠くまで来てくれてありがとうね」。平塚医師は、診察を通じて幾度となくお礼を言われたという。こちらも何か言って励ましたい。だが、「頑張って」とはとても言えなかった。「ここにいるから、いつでもいらしてくださいね」。そう言うのがやっとだったという。
 東日本大震災で両親を失った震災孤児らの心のケアに向け、厚生労働省が現地に派遣する保育士らを全国で募ったところ、18日までに212人が応じる意向を示したことが19日、分かった。
 同省によると、保育士111人のほか、児童相談所に勤務する児童心理司らが名乗り出たという。
 被災地では、震災孤児や、保護者と離れ離れとなり避難所などで孤独な状態に置かれている子供の存在が指摘されている。保育士らには子供が負った心の傷のケアや生活支援に当たってもらう。
 厚労省などは週明けに職員を現地に送り、保育士らの受け入れ態勢を整える方針。』


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