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トップハート物語(3751)立志伝敢闘編
17/09/30
2011年(平成23年)3月16日。
 朝から、原発事故の情報と住民の右往左往する様を軽々しく扱う菅政権と東電に怒りを感じ出勤した。
 朝一番に出発して、本社のある大東市の市民会館に行かないと行けない。8時半に出発するまで、その後この地区の市民会館で就職支援授業をするので資料準備をギリギリまでしていた。
NPO法人常勤理事の智子さんが珍しく早朝から出勤して出発した。9時過ぎに市民会館に到着。10時から、働きながら介護福祉士の資格を取得する制度に応募された方の選考試験があるのだ。
14名応募があり、8名に事前に絞って最終確認の段階で6名辞退。結果的に2名に絞られた。介護福祉士養成施設に週5日通学して、1日は当社で業務に当たるのだ。
 その厳しい環境の中で、2年間継続出来るかどうかが問われるのだ。2年間に養成施設に支払われる受講料等の200万円余りと2年間の賃金500万円余り、その他所経費を入れて、1000万円弱を全て自治体が負担するのだ。
条件は、失業者なのだ。そして、この選考会に残った2名は一番若い20代と50代の何れも女性だった。2年間の養成校通学を考慮すると同級生などの年齢などを強く勘案して、選考前には20代女性に概ね傾きつつあった。最初、養成校や当社の挨拶のあと直ぐに筆記試験に入った。
 その間、階下のグリルで当社の70代新人担当者と結論を出そうと話をしていた。雰囲気的には、50代女性かなと段々と傾きが変わって来た。第一印象もそのような感じだった。筆記試験が終わり、面接となった。
3名の試験官が、それぞれ個々に質問をして介護に対する思いやこれからの介護人生プランなどを聞いた。養成校は、通学する家庭環境や健康などの面を重視した。それぞれ10分程度の面接が終わり、審議に入った。
結果通知は18日として、方向性だけが話し合われた。衆目の一致したのは50代女性だった。勿論最終選考に残ったので、甲乙つけがたいが総合的に彼女だった。
 悩んだのは、他でもない。素晴らしい介護に携わる人材だと思っているので、2年間も通学させて当社の仕事がほとんどできないのでは当社の損失だと思った。それに、彼女が2年間で介護福祉士の資格を得たとしても、その後の先日公表された、キャリアパスに示された7段階の3クラスのスペシャリストの下だ。
その後経験を経てプロになるには数年掛かる。上級プロから最高位まで行くには10年では足りない。そうなると、もう体力的にも難しい。これから、医療関係も入って来て色んな方面の認定介護福祉士の資格を持ったとしても、実務に就けるかどうか。
 もし、途中で気付いて体力に負ける事を自覚し、ケアマネジャーを目指すには、卒業して5年の実務経験が必要となる。合計7年掛かる。もう還暦が来ている。それだったら、直ぐに実務経験を積んで5年でクリアできる。まだ、そのシステムが分からないから判断が出来ないのだ。養成校側も、小さい子供さんが居る20代よりその懸念が無い50代の方が受け入れたいという。驚いた事に、
 「小論文の試験は、400字以上600字以内となっているのですが、50代の方は600字で、20代の方は400字です。その点でも、50代の方が・・・」
 などと言う。
 内容など見ないのだ。字数だけで判断していたのには、驚いた。結論は先送りしたが、総合点でも50代の方が上回っていた。
 担当者に言った。
 「合格は50代の方にします。ただ、これからの介護人生と制度の説明をして、それでも、本人が養成校に行くという決断だったらそれを尊重しようとしたい。」
 そう、私なりの方向づけた。
 昼食は、移動する車の中で片付けて、次の会場に向かった。1時半から3時間に亘って就職支援の授業だった。東京から監査に来るというので、殊更念を入れて担当者と打ち合わせをして、この日に臨んだ。
私の準備した資料は、介護人材の制度改正案、介護労働安定センターの介護関連の調査資料。面談時の質問内容。そして、実際に出されている求人広告を提示しながらの見方。1時間毎に区切って質問を受けて3コマをした。
 「受講期間の半分を過ぎて、これからは資格を取得するべく卒業に向けての実技や実習、併せて就職するための活動に主眼を置く。その中で、就職活動を行う際の事前準備として、現在の介護現場とこれから改正される人材育成プラン情報を説明します。」

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