お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(3741)立志伝敢闘編
17/09/24
2011年(平成23年)3月14日。
 『全滅です。200~300人の遺体。』
 突然、パソコンメールに飛び込んで来た。
 その発信者名を見て、今までにない喜びに、一人で湧いた。直ぐに、変身した。
 『良かった、何度もメールと電話した。全く返事が無かったので、心配していた。良かった。どこにいるんですか。」
 直ぐに返事が来た。
 『水沢で集金中だった。ガス欠で動けない。』
 直ぐに返事を出した。
 食料の事、どんなところで過ごしているのか、寒くないですか、電源はどうしているんですか。
 『家族全員無事。鶴ヶ谷は大丈夫らしい。』
 そう言って、自分の事より私の母親の住んでいる処の情報を連絡くれた。自分は岩手県の水沢で足止めを食っているのに、仙台の情報を連絡くれる。また、連絡した。
 『時間を見つけてまたメールを下さい。出来れば、現在の写真を添付して下さい。行きたくても、交通手段無くて行けない。』
 そう言って、終わった。
 先輩が見つかった事が分かり、自然と涙が流れて来た。こんな年になって、涙を流すなんて情けないと思ったが、ずっと長い間流れていた。涙をぬぐいながら、仕事をしていた。先輩にもしもの事があったらと、考えていたのだ。
仙台市若林区の遺体が200から300浮いていると言われた、荒浜地区に先輩の家があるのだ。海と眼と鼻の先が、先輩の家だ。それを思い、何度もメールしても電話しても繋がらない。色んな事を考え併せて、絶望していたのだ。
諦めている時には、自分でも不思議なくらい冷静だった。2日目にメールが来て、無事を知った時に涙が溢れて来た。
 私の人生をずっと支えてくれた先輩。その先輩が居なくなった事を思っていた。もし本当に居なくなったら、もう仕事の張り合いが無くなる。何のために遣っているのかと思って、辞めようとも考えていた。
気力が無く、遣る気も無いのなら、やっても何の意味もなさない。先輩に見て欲しくて、こんなに一生懸命になって遣っているんだ。その意識が顕在化した。そんな時に、連絡があり本当に嬉しかった。
 母親も元気だったし。自分の事ばかり考えてしまうが、仕方が無い。弟2人が居るが、二人とも成人しているし比較的軽微な被害を受けた地区に居る。ただ、仙台駅の近くに住んでいる弟は精神的な障害があるので、ガス、水道、電気が止まった家でどのように生活出来るのだろうかと考えてしまう。
直ぐに、仙台の実家に連絡したが通じない。もう一人の弟は、遺体が多数発見された地区だが、マンションに居る筈だし大丈夫だと思う。ただ、昼間どこで仕事をしているのか不明だ。
 また、多くの同級生が居る筈の南三陸町や石巻、塩釜、女川等の地区の惨状は言葉にできない。特に、南三陸町は17500人の人口のうち、1万人が行方不明になっている。ここには、高校時代に親交を結び長い間交流のあった友人が住んでいる。
町長は同級生だし、親友の彼は商工会の重鎮として活躍中だった。ただ、最後の印象が悪かった。偉くなり過ぎて、それまで友人として懇意にして居たのが、久しぶりに連絡した数年前、何だお前は何の用だ、みたいな言い方に替わってしまった。
不快な感情を抱きながら、この日まで来ていた。その彼がどうなっているのか分からない。特に商売をしていたので、壊滅的な打撃を受けた。再度立ち上がるのは、不可能に近い。
 その高校時代に、片思いの中学校時代の同級生が居た。その地元、山元町に何度か行き、その砂浜に寝転んで過ごした一時期があった。卒業して、何度か会ったが淡い時代を思い出すと、今回の相当な被害をこうむったその地域が案じられる。彼女は、いまこの私が活動している地域近くに住んで居るのだ。
 色んな思いを抱いて、今置かれている自分の幸せを噛みしめる。仙台空港のある町に住んでいて、現在宮城県美術館の高い地位にいる同級生の事も気がかりだ。大きな被害を受けているが、彼は病気でありその妻も病に倒れている。夫婦とも同級生だ。
彼とは、卒業以来会う事は余り無いが、彼のブログで闘病生活を送りながら、妻の介護をして親の介護をして、それでもなおかつ活躍している姿に勇気づけられる。その彼の安否も気に掛かるのだ。
 これから、一体何日過ごしたら、仙台に行けるのだろうか。今度は、何日間かまとめて休みを取って行きたい。出来る事は、自分の親族や友人の範囲だけれど、なんとか生きていて欲しい。

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報