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トップハート物語(3712)立志伝敢闘編
17/09/10
2011年(平成23年)2月月末。
今日、介護支援専門員の登録期間更新申請指定日だったので行って来た。更新研修そのものは、昨年に終わっていたのだが、2000人もの対象者がいるという事で、更新申請日が指定されていた。
それにしても、内容がお粗末な更新研修など何の意味があったのだと考えたり、あっという間の5年間だったと思ったり。
 思い返せば、会社を立ち上げて10年目の今年だ。ということは、訪問介護のサービス提供責任者として5年経験した後、同じ年数を介護支援専門員として過ごした訳だ。しかし、今考えて見ると最初の5年はすごく長く感じて、介護支援専門員となってからの5年はあっという間だった。
それだけ、最初の5年間は苦労の連続だった。介護支援専門員の5年間はみんなに支えられて、あっという間だった。
 両方ともゼロからの出発だったが、両方とも利用者にしても売り上げにしても増える楽しみがあった。訪問介護の方は瞬間的に大幅に増えたが、介護支援専門員の方は徐々に増えた。
その速度によって、人材も並行して増えた。訪問介護は、途中で始まった自立支援と相互作用によって増え続けていた。介護支援専門員の方は、ケアマネジャーが一人から始まって現在は登録を含めて6人居る。時間が、会社や私を育ててくれた。
 そんな思いを抱きながら、事務所を出発した。久しぶりの雨模様だった。特段難しい手続きがある訳ではなく、この数カ月の間に写真を撮ったり証紙を警察署で購入して準備したり。
勿論、申請書類を作成したりして、準備をしていた。いつものように、NPO法人常勤理事の智子さんに車に乗せて貰い40分。1時前に到着した繁華街にあるビル。
驚いた事に、同じビルの広いフロアの一角のメディカルセンターの受け付けに、智子さんの親しい友人がいるのだ。私は申請に、智子さんは受付の彼女の処に驚かせようとして行った。
 私は終わって出て来ると、廊下に彼女が立っていた。ちょうど昼時なので、食事に行っているという。メールを打って、食事する処を探した。そうすると、智子さんに返信メールが入った。
一緒にお茶するというので、私は隣の京阪百貨店へ。30分程度だというので、そぞろ歩いた。行くのは勿論、食材売り場。安い、こんな繁華街で新鮮なものが安く売っている。感激して、智子さんが彼女と食事が終わったら、立ち寄って買い込んで行こうと思った。
 30分後、再び先ほどのビルに戻って、飲食街を歩いていると、彼女たち二人にばったり。その友人とは、何度か紹介されて会っているので軽く挨拶を交わした。
しかし、信用が置けない場面を見た事があった。先日の、当社主催の婚活パーティーの時の一コマだった。NPO法人常勤理事の関わり始めた男性に、智子さんが席を外した時に目を盗んで盛んに
 「誘って下さい。メール交換して下さい。」
 と、迫っていたのだ。
 そして、帰り間際にその目的を達成して、後日二人で会ったようだ。その模様を、友人である筈のNPO法人常勤理事の智子さんに
 「誘われたから仕方が無く、一緒に食事に行ったけれど最低だった。」
 などと、嘘を報告していたので、
 「それは嘘だ。彼女が盛んに誘って下さいと言っていた。」
 そう言ったが、
 「彼女はいい人だよ。」
 と、言って私の言葉を信用しなかった。
 そう言えば、同じように付き合っている親しい女性の友達が、それまで全く男性経験が無いと言っていたのに、昨夜、車の中で話し込んだ時に複数の男性との付き合いがあったことを告白されて、長時間ショックを受けていた。
 「どうして、そんなに次々男性とする事が出来るんだろう。」
 と、嘆いていた。
 その友人と別れてから、隣の京阪百貨店の最上階のすし店で食事をした。終わってから予定通り、地下の食品売り場で野菜を中心に魚や果物を買った。
4時過ぎに事務所に戻り、ス-パー銭湯に向かった。この頃の5時半頃は、まだ明るい。ゆったりと樽風呂を中心に過ごして、畳の部屋に落ち着いた。大好きなスポーツ関係の雑誌を読んで7時半に部屋に戻って来た。
 母親からの手紙付き海産物の小包が届いた。夭逝した、私の妹の名前が突然書いてあった。そうだ忘れていた、「真理子」という私の妹がいたのだ。その位牌と共に、母親は仙台で過ごしている。海産物は、毎月送られて来る。
一生懸命に食べるが、独居だし、中々処理出来ない。出来るだけ、母親が送ってくれる物は、他人にあげずに自分で食べようと思っているが、海苔はもう20畳以上も溜まっている。

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