お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(3627)立志伝敢闘編
17/07/21
2011年(平成23年)1月中旬。
いつものように、早朝から事務所で仕事した。キラキラ目の玉緒ちゃんが来る。今日は、9時には事務所を出ないと行けない。話を少しして、また机に向かう。そろそろ準備という段階に成って、新人ケアマネジャー宏美さんが来る。
今年初めて顔合わせしたので、話が沢山あるようだが。時計を確認すると10分前。それを顔に出すと悪いので、暫く我慢した。それでも、もう時間だ。
 「悪いけど、これから出ないといけない。高齢者専用賃貸住宅を全国展開している方と、自動車メーカーが組んでいて、そのスキームに入るように話が来ている。その方が、今日金澤に向かう途中で仲立ちしているメーカーの事務所に寄るので会う事になっている。」
 そう言ったが、中々話が終わらない。
 強引に準備をして、トイレに入ろうとドアを開けるがまだ終わらない。そんなこんなで、10分以上遅れてしまった。
地下鉄の駅に慌てて行ったが、21分発だった。乗り換えがあり、どうやら約束の10時に間に合わない。折角ゲストとして呼んでくれたのに、遅れるなんて痛恨事だ。そんな思いを抱きながら、淡々と向かう。
やっと総合受付に到着した時刻は1分過ぎていた。面会を告げて、応接室に案内された。秘書が応接室を開けて、
 「お着きに成りました。」
 と、ドアを開けてくれて入ると、恰幅の良い見慣れない顔の方が一人いた。
いつもお会いするメーカーの担当者とは異なる。自然と、名刺を出して挨拶を交わした。私は、この日どういうような服装で行くか迷っていた。朝まで迷っていた。正装でスーツにネクタイ、革靴で行こうかと黙考していた。
結果的には、いつものようにジーパンで裸足。着古したセーターで向かったのだ。相手の正装を見て、不味いと思った。しかし、そのような考えを払しょくするように、話し易い方で、自然に事業の話をし始めた。
 少しすると、メーカーの責任者が飲み物を持って現れた。遅れた詫びを再び入れて、また自然と事業の話しになった。以前から、このような人を紹介すると言われていた。2007年から2年間、某会社で25棟の高齢者賃貸住宅建設を推進したあと、独立した。
コンサルタント業務を手掛けながら、直営店を昨年から20棟建設、運営。自動車メーカーと色々な面で組み始めて、また、世界的な電器メーカーともコラボレーションをし始めた。
「現在は、JRの遊休地活用で動き始めた。」
という。
日経ビジネスへ毎号執筆されている方で、この世界では高名なコンサルタントだ。新たな枠組みでスタートするにあたって、問題が生まれて来たという。
 それは、どの業種にも共通する人材だ。その供給なくして、ますます活発になる高齢者の住宅建設運営は成り立たない。そんな話を聞き、当社の運営内容を話しした。特に興味があった教育システムを話しした。事前に、当社のホームページを見ながら、しきりに感心されていた。
 2時間近くの会談が、本当に楽しく過ごせたのは意気投合したからだ。これから金澤に行って、夜には横浜に行くという。途中で何度か、
 「本当に今日は良い方に巡り合った。素晴らしい。ヒントが沢山貰えた。このお宅のシステムを関東でしませんか。一緒に組んでやりましょう。」
 そう言われて、
 「お願いします。興味がありますので、宜しくお願いします。」
 そう言って、再会を誓った。
 後から年齢を聞くと、どうやら私と同じ歳だった。私より若くて、バリバリ動いているようだが、大変だなという意を強くした。
 何度か、施設の運営を打診されたが、
 「その意思は今のところ有りません。」
 そう答えていた。
 メーカーの責任者と私が残り、食事に行った。彼はサラリーマンなので、彼の行きつけの店に連れて行って貰ったが、伝票を持った彼から奪い取り
 「私は経費を沢山使えるから大丈夫です。」
 そう言って、支払いは当然経費で落とす私がした。
 それでも、彼は悪いと思って、珈琲だけでもと一緒にした。2時に成っていた。4時間の今日の時間は、本当にこれから生かされる時間となりそうだ。
昨日、急に電話があった時には、直前の約束があり一旦断った。しかし、電話を切ってから思い返して、約束を断り日にちを変更し、今日を迎えた。帰りは、メイン通りを冷たい風を切って歩いた。
当社の取引銀行を探していたのだ。振り込みと打ち込みがある。歩きも苦にならない心地良さだった。

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報