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トップハート物語(3544)立志伝敢闘編
17/06/07
2010年(平成22年)11月下旬。
小春日和のような、爽やかな秋晴れだった。
 外から、家の紅葉を写し離れた所から周りの庭木の植林をしている畑を入れて写した。駅に着いたが、まだ2000歩程度だったので
 「俺は近隣を歩いて行くから、帰っていいよ。」
 そう言ったが
 「だったら、おばさんが居る団地の方に行ってみる。」
 そう言われたので、どこでもいいので行く事にした。
 おばさんは、ここ数年鬱になり人と会うのが厳しくなった。しかし、このところは良くなって来たようで、突然の訪問になった。地域的には、隣の上尾市になる。
 おばさんは独居で、子供二人は少し遠くに離れて住んでいる。夫は7、8年前に亡くなった。典型的な、現在の高齢者だ。年金もほとんど無く、高齢化が進む団地に一人住まい。5階建てで、老朽化したエレベータが無い建物だ。
70代半ばにして、話をする事は高齢化社会に対する不安と子供や孫の世代の不安だ。
 「こんなに年寄りが邪魔になるような事を国はして、早く亡くなれという事だろうか。」
 介護保険料が上がるなどのニュースを目にしての事だった。
 「今でさえ、こんなに仕事が無いのに、孫の世代に成ったらどうなるんだろう。」
 大学生の就職率のことを知っての事だ。
 「北朝鮮が本当にミサイルを打って来たら、お国は国民を守る事が出来るのだろうか。」
 そう不安を口に出していた。
 老後の不安には、
 「それを支えるお金が無い。負担する筈の若の者が働かない。これから、多くの老人が生まれても、それを支える事は出来ないと思う。折角の技術を持っている技術者を、定年だからと言って首を切る。その方達が中国や韓国に行って、力を発揮している。長い間掛かって構築した技術が、いとも簡単に買われて行っている。辞めさせられた技術者は、見返してやろうと一生懸命に仕事をするし、出来高制でそれだけの技術があれば正当な評価もしてくれる。働き甲斐があるのは、外国企業だと思っている。外国で働いて、外国に税金を支払う。人は残るが国が滅びる。」
 そう言った。
大学生の就職率には
 「行かなくても良い奴等が、大学というブランドが欲しくて行く。我々の時代と違って、誰でも大学に入れる。そいつらは、我々の時代の中学卒業程度のマナーと遣る気とかを身につけていない。そんな奴ら雇ったって、使いものに成らないし返って邪魔だ。留学している東南アジアの生徒の方が、ハングリーで真面目でやる気もあるし、その方達を採用する方向にある。うちだって、特に男性は厄介だ。」
 また、北朝鮮問題については
 「守る姿勢が見られない。口先だけでごまかしているのも、時間の問題だ。」
 そこで止めたが、太平洋戦争当時アメリカ軍の原子爆弾投下先は大都市を外し、中小都市が俎上に上がった。当然、この地も首都圏のその位置にあるので、ふと私自身も心配になったのだ。
 1時間ほど、話をして再び私が乗る駅に歩いて行った。妻の実家の土地などの相続の話をした。1時半の乗車をして宇都宮線で上野経由東京に着いた。既に、東大宮駅で指定券を買っているので、ゆっくりとお土産を物色した。
いつものの様に迷わず直ぐに決まった。各事業所分5箱買った。研修センターへは買わなかった。私は、研修センターを改革しようと思っているので、その意思を表しているのだ。
 まだ30分もあるが、新幹線改札を通った。昼食を摂って居なかったので、弁当ブースに入った。ほとんど売れ切れており、仕方が無く残っていた牛飯弁当を買った。暫くすると、19番線に新幹線が入って来た。席に着くと同時に、弁当をたいらげた。
そこでひと眠りした。気付いた時には、既に名古屋近くだった。富士山を写そうと思っていたが、出来なかった。
 パソコンを取りだして、打ち始めた。いつも、往復グリー車を利用するようになったので、コンセントがあり無料のインターネットが利用出来る。往復の新幹線や在来線の交通費は4万円で、お土産代などを含めると5万円を超える。しかし、今回は外食が無かったのでその分経費が掛からなかった。
 新大阪駅には、NPO法人常勤理事の智子さんが迎えに来てくれたので、お土産を抱えて行かなくて済んだ。事務所に立ち寄り、少し仕事をして部屋に戻った。僅か15時間程度の自宅滞在だったが、やはり自宅の方が安らぐ。

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