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トップハート物語(3503)立志伝敢闘編
17/05/17
2010年(平成22年)11月初旬。 
今日の一般紙の朝刊についに、要支援の家事援助を介護保険から除外できるシステムが決まったようだ。各自治体でその導入の可否を決める。つまり、地域支援事業として構築するかどうか。その担い手として、NPO法人が浮上しているという。
当社は、先取りして既にNPO法人を昨年立ち上げている。
 朝10時半に、認知症を妻に持つ夫の緊急処置が終わり、リハビリテーシン病院に転院するのに出発する。医事課からも医師からも、看護師からも
「その日出発までの時間に来て下さい。」
と言われたので、どうしても行かないと、それも時間厳守で。
新人ケアマネジャーの宏美さんに連絡した。その時間帯はどこに居るのかと。
「新規のカンファレンスが入って居ます。」
という。いつも、移動を司っているNPO法人常勤理事の智子さんとは朝の約束は信用出来ない。幾ら約束しても、時間通り来た事が無い。私が遅れた事に付いて、いつも相手先に謝罪するのだ。
自分の力で行けばいいのだが、情けない事に運転が出来ないのだ。いざとなったら、新人ケアマネジャー宏美さんに依頼しようと思っていた目論見は破れ、NPO法人常勤理事に全てを任せる事になった。
約束時間より15分遅れて到着した。当然、私もサバを読んで時間を約束しているので、10時半には十分間に合った。
 病室に行くと、眠っている。起こされて、出発準備をするのだが
 「ここに居たい。どこにも行きたくない。」
 などと言い出す。ダメを押すと
 「ラジヲを持って来てくれ。CDとカセットも一緒に。イヤホーンも。」
 相変わらず、勝手な事を言う。
 新しい病院に落ち着いたら、と返事をすると
 「果物を刻んで持って来てくれ。」
 と、叫ぶ。
 困って、返事をせずにいると
 「水をくれ。水をくれ。」
 ちょっと待ってというと
 「いやお茶だ。お茶でいいから。」
 探しても、ベット周りには水分の関係は何も無い。そう答えると
 「看護婦さんに言ってくれ。」
 私は、家族が誰も来ないので、荷物をまとめている。
 その間、看護師さんが次々書類を持って来て、サインを求めたり、説明をされたり。次の病院への書類だけでも、5通くらいある。
 それだけ、色んな事が言えるのは元気な証拠だと思って居たら、全くリハビリが出来ていなくて、寝たきりだったという。
「腰痛が激しく、座位も困難になって居る。」
というのだ。
また、
「リハビリしようと体を動かすとおう吐をしてしまうので、中止になって居た。」
というのだ。
 30分ほど準備をしていると迎えの職員が来た。寝ているベットをギャッジアップして、体を起こそうとすると、
 「痛い、いたい、イタイ!!」
 と、激しく声を上げた。
 「寝たきりで動いてなかったから、痛いよね。それでも、行かないと行けないから、我慢して立って車いすに座ろう。」
 優しいのか惨酷なのか、看護師さんの声は優しい言葉は残酷さを含んで厳しく言い放つ。
 やっとの思いで、車いすに移乗した。これで、病院の職員かと思えるような、迎えに来た方の移乗の仕方だった。腰を悪くしていなければ、私がしたいくらいだった。
 救急対応の病院を後にして、リハビリテ―ション病院に行く。車で10分程度だ。受け付けを済ませて、カンファレンス室に入る。ここからが大変だった。3時間のカンファレンスとなった。
まず、どうして親族が来ないのかという事の説明をするのに、1時間以上を要した。その間、利用者の身体に異変が発見されて、応急処置をする。腰痛が激しく、リハビリは当分無理との判断がされた。そして、前の病院でも言われたが、
「家族さんとのコンタクトが取れないと受け入れられない。」
との見解だった。
その方策をどうするのかが、最大の課題と時間を要した。
 各部署のメンバーが集合して、5人で鳩首会談だ。とにかく、息子の判断を貰わないと。それも、
「肉声が無ければ、在宅に戻さざるを得ない。」
という言葉だった。
それに対して、私が前面に出て息子との会談に臨み、病院側の意向を伝える事になった。
 「それでどうですか。出来そうですか。」
 「遣りますけれど、ここに来るのは無理だと思われます。」
 そう返事をすると、ダメだった時を想定して、再び振り出しの考えを出しあった。

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