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トップハート物語(3474)立志伝敢闘編
17/05/03
2010年(平成22年)10月下旬。
 その感情を和らげるために、何度も声を掛けた。言葉が詰まって、声に成らない。しかし、その手は妻の手をしっかりと握りしめている。二人とも車いすだ。この時、ある情景が浮かんだ。
テレビドラマだが、実在の方のドラマだった。医師である老夫婦が、余命を僅か残して同じ病院に入院して、その死期が迫った時に、妻が夫の病室を車いすで訪ねる。この世の逢瀬の最後のシーンだ。淡々とした言葉に、黄泉の世界でも会えるという強い思いを感じていた。それと同じシーンだ。
 しっかりした妻は、夫に大丈夫かと気遣う。夫は、妻の手をじっと握り締めて、来月予定していた北海道旅行に行く事を何度も言う。当然、脳外科手術をしたばかりで11月のそれも北海道旅行など無理だ。
医師も、思わず苦笑しながら
「元気になったら。」
と言う。
周りが、
 「元気になったらいつでも行けるから。こんなに奥さんも元気になって、旦那さんが元気になって家に戻ってきたら、今度は奥さんが面倒をみると言っている。」
 そう言って、励ます。
 妻が言う。
 「一緒に北海道に行こうな。」
 こんなに元気になって、本当にうれしい。
 寝たきり状態の妻が、夫を励まし気使い、しっかりした言葉使いと淡々とした仕草に、平凡な生活が取り戻せたらいいと思った。
 一番心配だったのは、後遺症が避けられないような医師の説明だった。右手で妻の手を握っているので、左はどうか確認したかった。左手を握ると、握り返して来た。背伸びするようにお願いすると、両手を上げた。
ホッとした。退院後は、在宅生活は難しいように言われていて、施設かリハビリ病院と言われていたのだが、これもクリアしそうだ。
 妻に聞いた。
 「ショートスティはどうですか。」
 「昼間は何もする事無くて、暇で困ります。」
 もう、普通の精神に戻って居ると感激して
 「それじゃ、何日か家に戻って生活してみましょうか。」
 そう言ったら、喜んでいた。
 「そろそろ。」
と言っても、手は握りっぱなし。
口から食事を摂取していないので
「お腹が空いた。」
と言ったり、眠くなったり。
それでも、帰ろうとすると指先までも触れていたいという仕草をいつまでもしているので、中々非情になれなかった。
 気持ちの良い、時間を過ごして、繁華街にある最高級ホテルチェーンが運営するヒルトンスプラザに向かった。実は、私がこの午前中に仕事をしていて頭を離れなかったのは、新規事業として考えていたNPO常勤理事の智子さんに業務として入会させた婚活体験だった。
その思いは、他に向かった。当社のホームページの当社の歴史をまとめている時に、まだ独立して2年目に書いてある文章を目にした。私は、その当時仕事に向かうだけで人に目を向けて居なかった。
彼女は、最初から私の傍に居て一番信用していたのだが、食事も満足にせずにただ仕事に没頭していた私に付いて来たというか、方々に運転して連れて行ってくれたというか。
とにかく、黙って私に尽くしてくれた。
それでも、私は、彼女に
「一旦実績を積んだら埼玉に帰るよ。」
と言っていたようだ。
それに対して、
≪他の社員は自信があり自立出来る。自分は仕事が遅く能力が無く自信が無いので辞めなければならないと泣いていた≫
という記述があった。
それから、長い間私は彼女に負担を掛けて来た。まだ30代とはいえこのまま埼玉に戻ったでは、私の人生に汚点を残すと思い始めた。そうだ、絶対に誰かいい人と結婚させると思ったのだ。
その為には、やはり一流の結婚相談所に彼女を入れて責任を果たす精神を示さないとと思って本心は明かさず、彼女を強引に伴って全国に50か所も営業所があり、上場企業であるその相談所に連れて行った。
 4時半に、そのルイ・ビトンなどの高級店が並ぶビルに入って、相談所に送り出した。普通のそこまでの行き方は資料を要求して検討して、とかメールで問い合わせしてなどという轍を踏むのだが、私は思い立ったらすぐに行動を起こす。
エレベータホールに入る時に、
「金銭の心配はせずに自分の気に入ったコースを申し込みするように。」
と言って、安心させて送り出した。
 その間、私はターミナル駅構内を歩いた。1時間程度という思いでいた。駅の構内のファッショナブルな店が並んでいる道筋は、若い女性ばかりで男性は全く目立たない。喫茶店に入り、お茶を飲む。そこも女性で大賑わいだ。男性は小さくなっている。

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