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トップハート物語(3472)立志伝敢闘編
17/05/02
2010年(平成22年)10月下旬。
 休日だが、いつもと変わらず出勤だ。今日の予定は、先週、大阪経済大学へのプレゼンテーションの際に提示した原案をより具体的にという事に対する、資料作りを念頭に置いていた。
しかし、最初からその気が起きない。意欲が起きないのだ。困った事になったと思いながら、顧問の社会保険労務士から依頼のあった資料の作成や、顧問税理士から提出の指示を受けている資料の作成などを進めていた。
 そんな中、認知症の妻を置いて脳内出血を引き起こし緊急入院し、脳神経外科で手術をしてICUに入っている利用者の意を受けて、ICU室の職員からの連絡が入った。
 「患者さんが、奥さんに会いたいと希望されています。対応して貰う事は出来ますか。」
 当然、しますとの返事をした。
 「旦那さんは、発語は大丈夫ですか。」
 と、いうのは、私は、緊急入院したこの1週間4回訪問しているが、最初は勿論、意識が無い。その後、酸素を口から入れているので管が邪魔をして言葉に成らない。次の訪問時では、管は取れたが言葉がはっきりしない。
それが、昨日の病院からの報告では車いすで移動が出来るようになったという。その早い回復に驚きを隠せなかった。それが、私の問い合わせに
 「患者さんと代わりますので、待って下さい。」
 そう言われて、大丈夫なのかなと思った懸念を
 「もしもし、Uです。」
 と、言うはっきりした言葉で、一掃した。
 驚きだ、これだったら奥さんをショートステイからお連れしても大丈夫だろうと思った。
 「分かりました、奥さんをお連れしますからね。待っていて下さい。」
 そう会話が出来た嬉しさがあったので、直ぐにショートステイの生活相談員宛て電話した。
 その前に、移動介助を受ける訪問介護事業所に連絡した。2時だったら2時間程度、介助できるという。その前に、昨日、病院から依頼のあった翌週からの口から摂取する事になる、食事行為に必要な物品の準備などをして向かうので3時に病院到着という事になった。
それに合わせて、私も向かう事にした。その時間をショートステイに告げると、
「何時でも大丈夫です。」
と言う外出の了解を貰って、万端整った。
 妻の認知症が進行して、レベルが最高に達していた。凶暴性を伴う、夜間の不穏行動に根を上げる筈の唯一の家族である夫は、在宅に固執した。その妻が、今度はパーキンソンが襲う。
その何れもが、夫の大きな負担になるのだが在宅しか選択肢はない。病院に掛かるが、パーキンソンを抑える薬を飲むと認知症の凶暴性が出て来る。認知症の特に凶暴性を抑える薬を飲むと、パーキンソン症状が発症して来る。妻がどこの病院に行っても、
「両方の症状に同時に効く薬は無い。」
と言われて、強い抗議と連日押し掛ける夫と病院側と軋轢を生む。
皮膚が痒いと言っては、風邪気味だと言っては、便が出ないと言っては救急車を頼む。段々と、救急にも断られ近隣の病院という病院に受診を断られる。やっと、私が探した病院に対応をお願いして小康状態になるのだが、気に入らずに今度は遠くの病院へ受診をするために紹介状を書いて貰い、結局行かずに、また違う病院を希望するも拒否されるようになる。
 止むに止まれず、精神的な病院に行くも、余りの薬の多さに
「薬の調整しない限り責任が持てないので。」
と、以後の通院は受け入れ拒否。
病院が変わるたびに、薬を貰いそれを継続する。薬を出してくれる病院にこだわり、良心的な医師は勿論私どもも薬が余りに多種多様なので管理を申し出ると、えらい剣幕で怒りだす夫。
妻は、夫の準備する薬が多過ぎると嘆きながらも、吐きながらも強制的に飲まされて寝たきりに近い状態になり、転倒を繰り返す。その行為を見て、夫は妻に暴力をふるいながら強制的に動かそうとする。
以前、パーキンソンが抑えられて体調の良い時には、認知症の不穏行動に逆に妻から扇風機やハサミなどが投げつけられて、怪我をしていた夫。
 妻の状態が悪くなると、その反動か動けないまでもデイなどから戻って来ると怖さで震える体。デイでは、その生傷が虐待だとの報告。
「夫が怖いと言っている。」
との報告が相次ぐ。
そんな矢先の出来事だったのだが、何かが作用したのか、夫が脳内出血でトイレで意識不明になって倒れるまでの一月前から、30種類にも及ぶ服薬を半分程度に自主的に減らしていたのだ。
その為に、起きた現象は奇跡だった。それまで、体を動かすのも無理だったのが、夫が倒れる前日訪問した時には、奥さんは千鳥足だが自力で歩行が出来ていた。

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