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トップハート物語(3454)立志伝敢闘編
17/04/22
2010年(平成22年)10月中旬。
そう返事したものの、私は本社のある大東市で職業訓練の就職支援の授業がある。8時半に出ないと9時半の授業に間に合わない。もうすぐ、8時半になる。直ぐに、就職支援の講義の後、就職に対する自主活動となっているので、出席を取って自主活動に移行するように本社管理者に連絡した。
電話に出ない。研修センターの高学歴社員に連絡して、直ぐに向かうように指示して、新人ケアマネジャーの事務所に向かわせ、私を車に乗せて記念病院に同行するように指示した。
 病院に到着して、ICU室に案内されて行くとその認知症の奥さんが入り口に座って居た。私の顔ももう忘れてしまって、全く異なった名前を言う。その風体からか
 「丸岡さん。」
 と、誰の事だかわからない言葉を掛けて来る。
 「どうしたんですか、大丈夫ですか。」
 この時も、まだ私の脳裏には、夫の提案を参加者全員で拒否した事に対する、夫の覚悟の行動だという思いもあった。妻の、睡眠薬も少しずつ減らしていたので、それを貯めてもしや服薬したのでは。
薬に管理は、絶対に人に見せないで、必要なだけ自分が隠しているところから出して妻に飲ませる。もし、その事に触れようとすると、凄い形相で拒否する。
 認知症の妻が病室の前に居る。ポツンと座っている。いとしい気持ちになり、駆け寄った私のどうしたんですかという問いに、
 「お父さん倒れていた。」
 「どうしたの、誰が連絡してくれたの。」
 「私が、外に出て歩いている知らない人に頼んだの。お父さん大丈夫。」
 「大丈夫だよ、○○子さんが助けを呼んでいくれたから、お父さん助かったんだよ。」
 その後の様子は、段々と色んな人に聞き分かって来た。
 奥さんはポータブルトイレ、旦那さんは普通のトイレにそれぞれ居て、大きな音が聞こえたので妻が歩けない足でトイレに駆け込んで、倒れているお父さんを発見。外に出て、通行人に家に入って貰い転倒しているお父さんを確認して救急車を呼んでくれた。
その騒ぎを近所の人が見て、その中に息子さんの会社の関係の方が居て直ぐに会社に連絡。会社から、息子さんに連絡があった。その間、ヘルパーさんも援助に入り不在を連絡して来た。
 問題は、息子さんとお父さんの関係が私と父親の関係にそっくりだった事だ。私は、親父と憎しみ合って過ごした。中学生の時に、家を出た。
息子さんが、取り敢えず遅れて病院に駆けつけて来た時に談話室で話し合った。何度も看護師が、
「サインが必要で、担当医師も説明をしたい。」
という話だったのだが、拒否した。手術前の面会も拒否した。その時に、私と談話室で話をした。
 「ケアマネジャーさんには分からないでしょうが子供の頃の経緯があり、会いたくない。」
 「分かります、私も中学校の時から家を出て一人で過ごしました。親の死目どころか、死んだ事さえも分からず過ごしました。」
 「俺と同じだ。俺も、親父に中学校の時に出て行けと言われて外に出て、働きながら自分の金で学校に行って、自分の金で家を立てて親には何もして貰った事も無い。ただ、殴られていただけだ。」
 「分かりました。無理に何をどうしてくれとは言いません。」
 そんな話をしていると、認知症の母親が車いすで談話室に来た。
 息子が、ニコッと笑うのでその方向をみると、母親がジッと見ていた。傍に一緒に行った。母親が、何か言いたそうな顔をして、手を出す。最初は躊躇していた息子も、恥ずかしそうに手を出す。ジッと見つめる母親。
 「息子さん分かりますか。」
 「分かる。元気か。」
 そう言って、少しの会話を交わして、息子が手を出して握った。
 良かった、憎んでいた父親が身を犠牲にして母親との対面を演出した。しかし、既に母親は認知症で、判断が出来るかどうか心配だったが、会話になって居た。直ぐに、息子は私を呼びながらエレベータの方に向かった。
 「私が居たからといってどうなるものでもない、これから私は仕事あるので、行きますが、全ての判断などはケアマネジャーに一任すると医師に言ってあります。宜しくお願いします。」 
 そう言って何度も頭を下げてエレベータの中に消えた。
 私はすぐに、医師に呼ばれて現状の説明をするが、
 「全て、ケアマネジャーの佐藤さんに一任するとの言葉を頂いていますが、それでいいんですか。」 
 何度か確認されたが、そのたびに「はい」と返事をした。 

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