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トップハート物語(3359)立志伝敢闘編
17/03/03
2010年(平成22年)8月下旬。
出社して、最初にした事は昨日打ち合わせしたホームページ制作者と話し合いで、別枠でホームページ連載中の当社の立ちあがる経緯の事だ。毎日、原稿用紙1枚半程度の作になるが、トップページニュースに掲載しているので、別枠のサイトを作る提案を頂き了解した。
ところが、その制作金額が40万以上だと言う。それを、以前の見積もりや以前に貰っていた他社との比較をしてみると、とんでもない価格である事が分かった。つまり、4倍だ。ホームページ本体も、
 「非常に高過ぎる。騙されている。」
 と、助言をしてくれる人が多かった。
 しかし、その2倍もの250万弱を支払って成立したホームページだ。その価格と、以前依頼した価格を加えて400万円ほど掛かっている。その金額の経費計上を今回試みたが、資産と判定されて減価償却となってしまった。
つまり、400万円は支払って現金が出て行ったが減価償却で5年均等割りで80万円しか落ちなかった。残額320万円は手元に現金があるとみなされて、その分の税金が掛かって来る。
実効税率の150万円を支払う訳だから400万円に150万円をプラスした現金が外に出る訳だ。そんなのに加えて、また同じことをする積りはないので、早朝に担当者あてメールで断りを入れた。
 担当者から、始業時間の9時を経過して何度も携帯電話に連絡が来たが忙しいので出なかった。本社男性社員が挨拶に来た。彼は、度々色んな問題を引き起こしていたが、男性社員が私以外に彼一人しかいないということで辞めさせる事はしなかった。
しかし、今年責任者であった職業訓練事業で大きな問題を引き起こした。私が指示した事を守らずに引き起こした、問題だった。自分から退職希望を出して来た。4月の事だった。それから、暫く時を過ごしたが7月で退職したいと言って来たが、言葉だけでアクションが無かった。
今度は、再び担当していた研修関係の件で問題を起こした。内容的に致命傷だった。
 もう引き留めるとかの次元ではなかった。社内的には、同僚には8月と言っていたし、私にもそう言っていた。殊更、私が確認するとか退職願を要求するとかそんな事はなかった。
それでも、彼の後任の新人の入社が決まって20日から仕事の引き継ぎが始まった。休み明けのこの日、昼間に彼が事務所に来た。無口な人間なので、言葉はほとんどない。退職願ともう一つの手紙を封筒に入れて差し出して来た。
受け取った。これで決まりだ。まだ、30代前半の男だ。真面目だが、ミスが多くその対応にどれだけの神経と時間を費やしたか。
 「これから大丈夫なのか。」
 「時間が出来たら、運転免許を取りに行って取れてから働きます。」
 「どこかあるのか。」
 「まだ、何も決まって居ないのですが近くの訪問介護事業所にでも努めようかと思って。この仕事は続けて行く積りです。」
 「お前は真面目だが、トラブルや大きなミスが多過ぎる。上司の話を聞かず自分で勝手に判断する事は止めろ。ここだから、何とか処理できた。しかし、他の会社だったら致命傷だ。自分の判断が正しいか、上司からどんな指示を受けたのか、そう言った事を常に考えて振り返る事も必要だぞ。」
 何も言わず、頷く。
 彼の一番の表現だ。いつも言葉を発しない。
 「頑張って、一生懸命に生きてくれ。また会うかもしれないからな。いつでも来いよ。」
 そう言って別れた。
 暫く経ってから、退職願を確認してもう一つの封筒に入った手紙を読んだ。自分の性格が言葉に発する事が苦手なので、この手紙を書いたと書いてあった。
4年半厳しい指導を受けたが、実は優しさだったんだと最近気づいてこれでは自分が向上出来ないと、退職を決意したと。いつも問題を起こしても、何とか処理してくれて手を差し伸べてくれた事をいつも感謝していました、と。そして、これからの決意を述べてあった。
彼らしい表現で、それだけ理解していてくれれば、今まで受けた厳しい対応や金銭的な補償した事など氷解だ。彼と私らしい、最後の別れになるのか。私の病気入院の時にも、私に届かなかったが彼なりに色々思い考えて居た事が綴られていて、ちょっと別れが悲しい。

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