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トップハート物語(3357)立志伝敢闘編
17/03/02
2010年(平成22年)8月下旬。
 久しぶりに、自宅に戻ったがうなぎが食べたくて、帰省途中浦和で待ち合わせして食べに行った。駅前に、最近凝っているキャラクターの像があった。浦和の「うなこちゃん」像だ。一緒に収まろうと思ったが、息子に頼むのも躊躇したので残念な気持ちを持って通り過ぎた。
家を改造したのだが、お風呂とトイレだった。その期間があったので、戻れなかった。気持ち良い使い心地や入り心地が良い改造だった。
 朝の食事は、余りに妻らしさが出て進まなかった。何しろ、金銭的な余裕が出ていても使わない。相当貯蓄をしている筈なのだが、一体いつまでいくらまで溜まれば満足するのだろうか、と思ったが、口に出してももう無理なのでほとんど何も言わなかった。
自家製のアスパラとオクラの温野菜。マグロのアラを買って来てそぎ落とした、中落ち風だがパサパサしてうまみ全くなし。アラを煮たものもあったが、それも一度口にしたがそれ以上無理。
そして、ブリカマを焼いたものは全くこれも脂身が無く乾燥したような、と言う訳で魚大好きの私はそれには手をつけられなかった。食べたのは、僅かに枝豆豆腐と味付けのエノキ。自家製の茗荷の味噌汁だけだった。
 「お昼は食べて行くの。」
 と聞かれたので、
 「食べるよ。」
 と、答えたが何か浮かない。
 調理が全く駄目な妻だから、何を作っていいのか分からない。
 「いいよ、外に食べに行こう。」
 そう言うと安心したようだ。
 テレビを見て過ごす。私は、もう政治ショーは飽き飽きしたので昔のように、見入る事も無い。今の大事な時期に何かをするのは、やはり小沢しかいないか。この人物は人間が汚いので大嫌いだったが、何も出来ないしない菅よりは良い。
この大きな変革時に力を発揮出来るのは小沢だけだろう。そうしないと、最後の悪あがきもせずに日本は終えんを迎える。そんな事を思っていた。
 年金定期便の通知が来ていた。昨年に続いて2度目だ。昨年以降の積み立てた内容が記してある。そして、予想年金額が記してあった。60歳からの報酬比例部分の支給が70万円余り。つまり、月6万円程度。65歳からの現時点の納付額で計算すると年150万円余り。つまり、月13万円だ。
私は、ずっと高額の給与で納付していた。これからも何年かは収め続ける。後どのくらい増えるのか分からないが、それにしても低額だ。これでは生活して行けない。年金基金の分が30年くらいあるので、加算はいくらかされるがそれにしても、現在の受給者から見れば大幅に減額されている。
そして、私以降の人たちは、段々と減額されて受給などおぼつかない。政治家の馬鹿が、何をしようとしているのか。
 昼前に、家を出て近くの北海道の食材を使用しているファミリーレストラン「とんでん」に向かった。昼前だが、待っている人が居た。暫く待って、席に通された。裕に100席はあろうかという大型店だ。
活気があっていい。私が仕事をして居る守口には、こんな混雑する店などお目にかかれない。私と息子は、時鮭といかの刺身定食だ。妻は、どこに行ってもそうだが一番安いものを頼む。イワシのすしとそばか何かを頼んだが、
 「生臭くて。」
 と、言って息子に押し付けていた。いつものパターンだ。
 話題は、どうしても連絡がなかなか取れない次男だ。昨年末で勤めていた会社を意気揚々と退職したが、その後何度か連絡を取っても就職したのかどうかも分からない。妻は、私に何とかしてと言うが
 「何をしたいのかは自分が決める事。それに達して、サポートは出来るが、俺がどうしろこうしろのと言っても後から禍根が残る。結婚しているんだから、夫婦で話し合って行けばいい。俺がこう言ったから、駄目だったなどと後から言われたんでは困る。」
 「それでも、今何とかしないとあの子は内に籠ってしまうので心配だ。」
 「何度か声を掛けたり、相談に乗ろうとしても何の返事も来ないし、社会人とか企業人とかで大切な事を全部欠落している。俺だって、何とかしたいと思っているが、それが出来るのは数年だけだ。そのあとを考えると、やはりどうやって行くのか自分で考える他ない。」
 仕方が無いという風な妻の顔。
 周りがとやかく言っても、本人がどう思っているのかも分からない時に、勝手に物事を話し合っても仕方が無い。大体、仕事をしていないとかはこの3人では分からないのだ。そんな思いをしながら、東京駅に向かった。
「かるかん」をいつものように5事業所分購入して、戻って来た。

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