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トップハート物語(3354)立志伝敢闘編
17/02/28
2010年(平成22年)8月下旬。
 朝9時前に、7月からに社員となった新人女性が来た。帰省していた、南国のお土産を携えて。パッションフルーツだと言うが、どんなものか良く分からないままお礼を言って受け取った。
初めて貰った給与明細について、説明を求めて来た。しっかりした方で、将来有望な若手だ。勉強熱心で、意欲が前面に出ているので、それに応えるように研修や資格を取得させるプランを示している。
 「仕事はどうですか。」
 「忙しくて、時間が無く大変です。」
 「大丈夫?無理をしないように。」
 「ケアと事務的なものを教えて貰っているのですが、突然ケアが発生したりして与えられた事務処理が途中で出て行っても、管理者の方も同僚の方もカバーしてくれて、処理してくれたりして助かっています。みんな優しい方で、私も遣り甲斐があります。」
 「それは良かった。処で、この会社の歴史を知りたいと言っていたね。」
 「みんな、社長がいつか話しをしてくれると言っていましたが、私にはいつあるんでしょうか。一緒に資格を取ったクラス会があるんですが、他の事業所に居る方達が、この会社の噂を知っているようでよく入れたねと羨ましがっています。私も自慢で。この会社が、ここまで評価されるにはどういう経過を辿ったのか知りたいんです。」
 「俺も時間が無く、話をすることが出来ないので、ホームページに掲載を始めているので見て。現在25回目だけれど、やっとこの大阪に来た辺りを書いている。」
 「忙しくて、折角与えられたのですがパソコンを業務以外で見る時間が無くて。」
 そんな話をした後、彼女のこの仕事の話になった。
 「私が資格を取得すると言うと、家族に反対されるので内緒で通っていました。まだ、数年前は家族も偏見で介護職を見ていて、ヘルパーと言うと低く見られて、『机の前に座ってペンを持って仕事をするように』と何度も親に言われました。家も商売をしているので、そういう気持ちが強かったのだと思います。」
 「俺も、ホームページに物語に書いているが、最初は家族から特に妻から嫌がられて、親戚との付き合いをするな会合に出て来るなと、排除されていた。景気良く振る舞う、自分の妹達にコンプレックスを強く持っていた。『お金だけ送ってくれればいいから、ここから居なくなって欲しい』と言われていた。だから、今そうなっている。あれから10有余年。いまでは、俺は曲がりなりにも会社をしていて、順調に行っている。その羽振りの良かった妹達はと言うと、一人は自己破産、もう一人は仕事に失敗してうつ病になり厳しい生活をしている。その時がどうだと言うより、長い時間と結果が評価をもたらすから、余分な事に気を使わず前向きで頑張って。」
 「そうなんです。あの時に、私が研修で家を空けるに対してどこに行くんだと聞かれても、返事できなかった。電話でやっと言ったんです。それが、今では応援してくれて喜んでいてくれます。」
 「はっきり言って、簡単に資格が取れて給与が入って来る。世間的レベルの低い人も多く、違反や非常識な事を平気で起こすヘルパーさんが多過ぎる。そんな風では、評価が低いのは当たり前だ。しかし、これからは違って来る。来年から、医療行為の研修が始まる。最初は、胃ろうやたんの吸引からだが、その審議をしている会議議事録を読むと介護職員が行う医療行為範囲をこの2ケースに限定するものではないとなっているので、これ以上増えると思う。会議資料として、准看護士のカリキュラムが添えてあったのでそれに近づいて行く。そして、行く行くは医療と介護が一緒になる。そのような大きな変化を遂げて行くので、若い人材が欲しいんだ。俺が、若い人が好きだと揶揄するようにみんな言っているが、そのような時間的経過をみると10年は必要だ。その10年に耐えられる人材を確保しているんだ。だから、今度入れた50歳の方は、そのような理由を言って断って居た。しかし、人が欲しいというのとどうしても当社に来たいと言う、メジャーな会社を断ってうちに何度もアクションを掛けて来たので、実習型雇用対象でもあり異例だが社員として採用した。」

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