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トップハート物語(3352)立志伝敢闘編
17/02/27
2010年(平成22年)8月下旬。
早朝に自立支援サービス提供責任者が、介護福祉士実務経験証明書に押す代表者印を受けに来た。いま、ケアマネジャー受験対策講座を行っている時に、もう介護福祉士受験対策を始める事になるのだ。
1年とは早いものだと思った。続いて、高齢者介護サービス提供責任者が自宅で作って居るゴーヤを持って来てくれた。始業時に新人ケアマネジャー宏美さんが迎えに来た。
彼女と、入院中の利用者巡りをする。まだ、医療との関わりの仕方が希薄でついて行く事が多い。主治医から、入院した利用者の既存の病歴や介護状況を求められているので、その情報を携えて向かった。
彼女を前面に出す為に、私は利用者の病棟に向かい、彼女は医事室に居るソーシャルワーカーに私が準備した資料を持って行かせた。
 病室で会った利用者は、すこぶる痩せていて以前とは全く異なった様相だった。顔は黒く変色していて、丁度おむつ交換の時だった。
その直前に5分だけ止めて貰って、話をした。認知症が顕著だったのだが、状態が悪化してから全くそのようなものは出て居ないばかりか、鮮明は記憶と会話が出来た。不思議なものだが、認知症と生命のギリギリの段階では因果関係があるのではないかと思われるようだった。
多額の財産を持って居ながら、このような6人部屋の雑然とした病室に端に追い遣られている利用者が不憫だった。私の訪問を喜んでくれて、声にならない声で感謝していた。我儘で、何度も投げ出したい程苦労をした対応が嘘のように何のわだかまりも無く、早くここから出してあげたいと思う気持ちが湧いて来ている。
利用者も、振り絞るようなか細くも絞り出すような声で
 「早く帰りたい。自宅に帰りたい。」
 と叫ぶ。
 「食事が出来るようになったら戻れますからね。頑張って食事を摂って下さいね。」
 そう言うが、
 「食べられない。病院の食事は食べられない。ここのは食べられない。」
 そう何度も言う。
 「娘さんが、今度来ますからね。」
 「東京の?」
 「はい、東京の長女の方と次女の方が来ます。」
 「そう。」
 今年、絶縁していた子供2人と30年振りに、このような身体的悪化に置かれて面会を果たした。
 医師の要請に従って、何度か主治医と面会の時を持つ事を調整した。遠くの関東の方とのコンタクトがやっと次女を通じて確保出来たが、この夜また日程変更の依頼の連絡があり、調整の結果確定した。
 その足で、月曜日に救急搬送されたという利用者の入院先に向かった。本来は、生活福祉課の仕事だが担当が新人の女性で何もしない。役人だから通用するが、民間人だったらこんな奴クビだろう。
ヘルパーさんが何度も訪問するが、不在だ。その情報を貰っても、独居で身寄りが居ない利用者は携帯電話も固定電話も持っていない。いつも、薬と酒で半覚醒状態で外に出て倒れているところを通行人の通報で救急搬送される。
しかし、この近辺の救急病院は受け入れを拒否している。そんな中、生活福祉課に問い合わせすると何と情報が入って居て、救急医療センターに搬送されているという。
 その情報を得た新人ケアマネジャー宏美さんは、当然の事として車で30分程度の近隣の救急医療センターだと思ってそこに向かって、地域連携室に問い合わせの為に入った。
その前に、歩きながら
 「実は、前に認定調査でここに来た時に、救急医療センタ-と書いてあったのでどこの病棟か聞いたら、認定調査対象者が居ない。総合受付の方が『よく間違って来る』と言って、国立の救急医療センターがここから30分近くの処にあるがそこだった。」
 などと、エピソードとして話をした。
 「ここにそのような名前の方は入院されていませんが、救急だと氏名を言われない方が居るので、生年月日を教えてくれますか。」 
 しかし、彼女は何も資料を持って来ていないので分からない。
 医療センターに救急搬送されたと情報をくれた市の生活福祉課に連絡した。何と、国立だと言う。
 国立救急医療センターでかなり待たされたが、案内された場所は救命救急室だった。面会した利用者は、医師やナースステーションと行き来が容易に出来るように仕切りのない病床に、沢山の管を設置されて眠っていた。
何度か医師が起こしたが、眠りから覚める事はなかった。医師とのカンファレンスが始まった。色んな今までのいきさつなどを話し合って、身寄りが無いので本人の同意によって脳神経外科手術をする意思を示された。
 もう、12時になって居た。

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