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トップハート物語(3279)立志伝敢闘編
17/01/22
2010年(平成22年)7月中旬。
 電車に乗って1時間余り。ボランティア説明会会場に着いた。受け付けを済ませて、会場に入る。1時間ほど説明を受けて、担当別に集合した。私たちの会社10名は、保育関係を担当する事になり全員サブリーダーになった。
24日の大会には全国から1000名の参加者がいる。その子供たちの中で、50名程の障害者のお子さんを我々グループが預かる事になった。マンツーマンだから、50名のボランティアがいる。
その50名を、5人ずつに分けて束ねるのがサブリーダーだ。10人のサブリーダーが全員当社の社員がする事になった。その上に、リーダーが2名いる。
 全部で19ブロックだ。そこに200名以上のボランティアが入る。70人が我々のグループになるという。私たちは、てっきりマンツーマンのお子さんを見る側になるのかと思ったら、それを見るボランティアを束ねる立場になってしまった。
ある程度のボランティアメンバーが紹介されたが、ほとんどが大学生だ。そのほか、保育園の保育士のグループもボランティアに加わっている。訳の分からない人物が何人か紹介されたが、声が聞こえないくらいの声での自己紹介なので、聞き取れないままになっていたが、その中の一人が
 「なんなこのグループは、暗いですね。」
 と、皮肉っぽく言い放った。
 みんなの雰囲気が悪くなった。
お子さんを見る為に交通博物館など移動しながら案内を受けた。2時間で説明全部が終わった。それにしても、当日はオレンジのTシャツを着る事になって、会場で配布されるが事前にメールで
 『当社はオレンジのジャージを揃えたばかりで、それを着て行きます』
 と、責任者に連絡をしてあったが、責任者が来てそれで結構ですと言われた。
偶然とはいえ、同じ色でまさにタイムリーな制服を揃えた。
 珍しく喫茶店で昼食を摂って、どこかに行きたいと考えていた。携帯で、色んな方面にアクセスしながら、宿泊地の空き情報などを見ていた。ほとんど当日は取れない状態だった。結果的に、決めたのが昨日のテレビを見ていてここにしようかと考えていた京都だった。
祇園祭の宵山が今日で、明日は山鉾巡行だ。その前夜祭ともいうべき宵山をテレビで見たのだ。宿泊地は、行って観光案内所にでも行けば探してくれるだろうと安易に考えて、スタートした。
電車の中では、ぐっすり眠ってしまった。京都駅に到着した時には、そんなに時間が掛かっていないような気がした。眠っていたのだから、当然だった。駅に着いて、直ぐに観光案内所に行った。
 どこもここも、満員の旅館。和食で、京都の風情を楽しみたかったのだ。やっと取れたのが、
 「嵐山の近くで、祭りのある祇園とは全く反対方向ですよ。」
 そう言われた。
止めた。
 「全日空ホテルが比較的近いですが、高いです。」
 そう言われて、
 「仕方が無いから、お願いします。」
 と、言ったがそれも満員。
 「絶対取れるのが、新阪急ホテルです。ここは大丈夫です。」
 そう言われたが、値段が高い。それでも諦めた。
 「ところで、山鉾巡行はどこに行けばいいんですか。」
 「えっ、もう終わってますよ。午前中でほとんど終わりです。後の片づけくらい見る事が出来るかも知れない。メインストリートなので、早く片付けないと邪魔になる。だから、ホテルに行って一休みして、祇園に早目に行って場所をとって祭りを見て下さい。」
 と言われた。
 ホテルは京都駅前阪急ホテルだった。少し休んで、出掛けようと思ったが全く体が動かない。止めた。食事に出た。駅ビルの伊勢丹の最上階にある食事処に行った。築地「寿司清」があった。
カウンターに座ったが、リーズナブルの値段で沢山食べた。後からレシートを見ると20貫だった。中トロの握りと手巻き、ヒラメ、ニシン、真鯛、ハマチ、赤エビ、赤貝、カラス貝、北寄貝など。美味しかった。京都に来て、こんな江戸前の寿司を食べられるとは思わなかった。
全部、築地から仕入れているという。
 折角来たのだが、諦めてテレビを見て夜は過ごした。普段なら、大宮の家に帰るのだが、住宅の一部を改修している為に来月に繰り越したのだ。テレビでは、山陽新幹線が運転再開の文字があった。
本当は、岡山経由で四国にこうと思っていたのだ。それが、何の因果かここにしてしまったのが正解だった。

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