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トップハート物語(3265)立志伝敢闘編
17/01/13
2010年(平成22年)7月中旬。
いまでは、色んなヘルパーさんが滅茶苦茶しても、問題があっても無責任に誰も把握していない。引き継ぎもうまく言っているとは思えない。ノートや記録には、≪冷蔵庫の整理をしました≫と書いてあるが、家族が行ってみると古いものや二重の買い物がされていたり、お願いした事をしていなかったり。
そんな出鱈目な事で、家族はもう当社には
「お願い出来ない。」
という声も来ている。
「そんなことをして、誰が一体得をするんだ。毎月支払い金額を確認に来るが、何のために把握しているんだ。益々多くなっているだろう。身体介護より生活援助の方が多くの時間を働いてくれて、同じ利用者を担当すると確実にその方の生活を把握しているし、責任の所在をはっきりさせる事が出来る。そうじゃないのか。ヘルパーさんが不足しているなら、そう言って欲しい。そうなら、増員をするし。」
 大きなキラキラ目から、大粒の涙が流れて来た。
 「悲しくて、涙が流れて来ます。」 
 そう言って、涙を拭いた。
 慌てて、言葉を替えた。
 「実は、これから9月に退院して来る在宅療養の利用者は多分1日に何度も入らないと行けなくなる利用者だ。その方に、同じように何人もの人が入ったんでは、大きな問題を引き起こす事になる。そこで、新たな人材を確保しようと思う。6月に終わった職業訓練校の卒業生で、ちょっと年齢が高くて断っていたんだけれど、どうしても当社に応募したいというので応募は受けるつもりでいたんだ。有能である事は分かっている。資格も保育士とか幼稚園教諭とかもあるし、事務も経験があるので出来る。土曜日曜も、問題無く勤務できると言うが年齢が40代後半で、当社でのこれからの資格取得などの事を考えると、大変だと思う。だから、彼女にとっては他の会社の方が良いと思って断った。ところが、応募して知人が責任者をしているという全国展開している会社を断って、どうしても当社に来たいと言って切望している。これから、みんなに相談するが一応そういう話があるという事を言って置く。そうしたら、何人かの利用者を彼女に専門に担当して貰って、とっかえひっかえしなくても事足りるようになる。」
 「有難うございます。早くお願いします。」 
 やっと、機嫌が直っていつもの元気な彼女に戻って、キラキラ目がなお一層涙で潤ませて、踵を返してドアの外に消えた。
 それから午前中は、社員の訪問と仕事と戦争状態だった。
 短時間で昼食を済ませて、2時からの私個人の定期診察に向かった。来るまで1時間程度かかる遠方だが、通院する病院を選択したのだ。昨年末選択した病院がお粗末で、危なくあの世に行く事になるところだった。
その轍を踏まえて、遠くの関西電力病院に月1回通っている。睡眠時無呼吸症候群の治療なのだが、睡眠時に付ける空気を送る装置のレンタルが健康保険適用になる為には必要な行為なのだという。
それでも、レンタル料が月4500円だ。終わると、再び1時間掛けて事務所に戻る。また、戦いが始まる。すぐに出掛ける時間が来た。いつも電話で話をしている、もう7年目の付き合いである障害者の彼女の誕生会だ。
彼女が24歳の時に、不慮の事故で半身不随になった。病院を転々として4年、自宅に戻って来た。自暴自棄になった彼女の選択は、施設での生活だ。市も家族もそれを望んでいたのだが、施設が空くまでのひと月だけという事で、市から当社に対応の依頼があった。
 そのまま受け入れた障害者支援の管理者の報告に、私が
 「一生施設では余りに可哀そうだ。在宅の良さを教えてあげなさい。最高のヘルパーさんを入れるように。彼女の、話し相手になれるような年齢のあったヘルパーさんを入れるように。絶対に、在宅継続を望むようなケアをするように。」
 そういった意味の指示をした。
 ひと月気になっていたが、結果は私の思うような結果となった。
 その彼女が、私に直接連絡をして来たのはそれから1年後だ。やむにやまれぬような言い方で、ヘルパーさんを替えて欲しいという。
 その事を直ぐに実行したから、彼女は私に信頼を寄せて来た。何かにつけて、連絡が来るようになった。閉じ籠った部屋での生活で、性格も荒んで来る。社員は、精いっぱい対応しているがトラブルが多く出るようになった。
精神的にも躁鬱的なものが顕著になり、そのような病院にも通い出して治療を受けるようになった。それでも、私に電話をして来る時はそれほど変わらない様子だった。決定的なトラブルが起こって、当社のサービスを
「他の事業所に替えたい。」
と申し入れがあり、私が初めて訪問したのはサービスが始まって2年後だった。

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