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トップハート物語(3251)立志伝敢闘編
17/01/05
2010年(平成22年)7月上旬。
3時に、昨夕ケアプラン作成依頼が総合病院からあった利用者の医療機関とのカンファレンスがあった。末期だという情報だけで、直ぐに利用者宅を訪問したのだが、戸惑いが当然だがあり、基本的な情報を得られなかったのだ。
そのままのカンファレンスだった。要介護すらも、総合病院地域連携室から連絡が来た時には『3』だった。しかし、その通知なり介護保険被保険者証なりが利用者の手元にない。入院中に、総合病院が申請をして認定を受けたようだがそのものが確認されないまま、翌日となった。
利用者から、朝、私の携帯電話に連絡が有り市役所に確認したら『2』だったという。その事を確認する為に、新人ケアマネジャー宏美さんに市役所担当者に連絡をさせた。
 「市役所では、既に通知をしているのでいつでも援助に入れますと言っていました。通知した内容については、個人情報なので教えて貰えませんでした。」
 そんな報告だった。
 悪い事が重なるもので、入院中に生活保護申請をしたのだが住まいが退院した時に変わってしまった。その住所変更もしていないので、通知は前の住所地に行っているものと思われる。
そんな状態で、地域の医療機関が主治医なので、その医療機関に呼ばれて訪問した。
 看護婦長が対応した。
 「あの方の、基本情報はありますか。」
 開口一番にそのように言われて、全く無い事を素直に話した。
 「実は、当病院が先月末退院した時から主治医で診察をしていました。経過は、本人が異常を感じてもお金が無くて病院に掛らなかったんですが、病気で倒れて近所の人が救急車を呼んで運ばれました。最初の救急病院では、手遅れで処置が出来ないと次の総合病院に転院しました。その病院でも、手遅れで何もできないと治療だけで入院生活をしていました。末期で、全身に転移して居ます。」
 そう言われて、あの、昨日訪問した時に目にした彼女の姿を思い出した。
私が初めて見る、身体的な変化なのだ。余りに悲惨な光景に、声も出なかった。こんなに人間の体とは異常に変化するものなのだと。
 身体的な変化について、事細かに原因とともに話をしてくれた。医療に携わっている方にとっては、その事が受け入れられても、私はそれが無理なのだ。自分の顔が深刻な顔になっているのが自覚された。
 住宅改修も含めて、助言を受けた。生活全般が、援助を受ける様な形なのだが、その事も推察できずに
 「そんなにしてもらわなくても、自分で出来るから。」
 という言葉を受け入れてしまった。
 その看護師が、毎日食事を運んで援助をしているという事は知らなかった。
 「友達が、食事の準備などしてくれるからいい。」
 という言葉を、受け入れていたのだが
 「食事の準備もそうですが、トイレも和式なので出来ない。掃除も出来ないし、少しでも動けばもうその日は何もできないくらいです。お風呂も、体全体が蝕まれていて、異常に変化しているから、私どもが対応している。立っている事も出来ないから、湯船に入るのも無理だとおもう。シャワー浴になるけれど、あのように利き腕の右腕がまるでゾウのように何倍にも膨らんで重い状態になってしまって使えないから、座る必要が有り私のところからシャワーチェアを運んで使って貰っている。」
 そんな事を聞いた。
 「本人に告知してあるのか分からないのですが、そんなに無理しないでと言っているんです。」
 「私が昨日本人から、先生に段々良くなっていると言われたと聞きました。」
 「そう思っているんですが、そうではないんです。」
 そんな深刻な話を、1時間ほど聞いた。
 ターミナルケアを何度か担当している。その事を踏まえて、新人ケアマネジャー宏美さんに言った。
 「利用者の要望を、介護保険にとらわれずにどんな事でも聞くように。出来ないものは、NPOで補完するから。ちゃんと事業所には経費を払うから。分かったな。」
 以前も、唯一の親族の了解を貰いに遠くの和歌山県まで特急電車を使って会いに行って、その処置を了解して貰った。
 当社が担当する事になった経緯を聞いた。
 「当病院から、総合病院に連絡して早く対応を依頼しました。そして、市役所に連絡しました。そうしたら、市役所から全部お宅で仕切ってと言われて、みんなに聞いたらトップハートが一番対応がいいと全員一致で決まって、お宅が担当になったんです。窓口は、総合病院の地域連携室です。」
 そう言われて、やる気が益々出て来た。

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