お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(3242)立志伝敢闘編
16/12/24
2010年(平成22年)7月上旬。
「辞めるなんて、そんなこと考えた事もないです。」
 「いや結構だから、他のサービス残業とやらが無い会社で活躍してくれないか。」
 などと、いつもの話から始まった。
今日の予定は、初めての障害を持つ利用者に対応する事になった。4時間の予定で勤務に入った。心配だったので、その対応する心得の様なものを伝えた。それから、4時間後迎えに来たのだ。
道のりは、約1時間半もある。車の中で、二人っきりでは間が持てないし、何を話していいのか分からない。それでも、話をしない事には間が持てない。会社での思いや感情を取り除いて話し始めた。感情的に成って自動車のトラブルでも起こされたのではかなわない。
 「出身はどこだっけ。」
 から始まって、転居先などの話を聞いた。
それも終わり、今度は仕事の変遷を聞いた。高校を卒業してから、メーカーに入った。アスベストを扱っている会社で、収入は良かったが体に変調をきたして辞めた。それから、趣味の熱帯魚を扱う仕事を自分でしたようだ。
直ぐにダメに成り、再びサラリーマンになった。そこまでで、目的地に到着した。ほんの短い期間の人生の話だけで1時間半にもなったという事は、紆余曲折が有ったという事だ。彼も、一人間として見た場合当たり前だがドラマあるのだ。
目的地に近付いた時に、
 「恥ずかしい話ですが、この店で働いていたんです。」
 と、繁華街の一角には出にイルミネーションが昼間でも輝いている貸し出しと店の中で見られるビデオ店を指さした。
 「この店でどのくらいの給与を貰っていたんだ。」
 「月額35万円です。それでも、社会保険や交通費は自分持ちです。12時間の2交代制で、色んな店に応援に行く時もあります。片道5時間も掛けて行った時もあります。移動時間は勤務時間に入らないし、遠くまでの交通費は自分持ち出し。手許に残るのはそんなに多くないです。」
 「その仕事は平均勤続何年位だ。」
 「例えば、100人入ったとして90人以上は3か月で辞めます。」
 「お前は、どのくらい持った。」
 「3年半です。古さでは、最高の部類に入っていました。しかし、実力主義で売り上げが評価されるんです。売り上げが悪いと、他の店に応援に行くだけで、少しいいと店長として任せられるようになるんです。でも、直ぐに売り上げが悪ければ降格されます。」
 「それだけ長かったという事は、それが自分に合うんじゃないのか。」
 「大変だという事は無かったんですが、自分の時間が取れなくて。交替といっても、私は昼間の勤務で朝の10時から夜の10時まで拘束されます。その前後30分は引き継ぎが有り実質13時間拘束です。」
 そんな事を言っている間に、現地の人と待ち合わせの場所に着いた。
 待ち合わせの人は、私がお世話になった方の親族で、定年を機に介護事業をしたいと思って当社に籍を置いている人だ。
ただ、当社で働くには意識が難しい。そこで、その事業の助走の一環として職業訓練の運営をする事を提案したのだ。会場を探してくれており、その駅近くの会場に向かった。しかし、その福祉会館は月5日しか借りられずに門前から入れなかった。
隣の市民会館に行った。今度は、会館の部屋が少なく今年一杯借りられる部屋が少なくこれもとん挫。人口80万人を超す政令指定都市にしてはお粗末な市民施設だ。その割には、超高層の市役所が駅前にそびえている。
ハローワークも近くだし、ターミナル駅も近くだし最高の立地条件だったが、部屋が無いのではうまく離陸は出来ない。早々と結論を出して、帰路についた。
 再び嘘つきせんとくんと車の中で話し始めた。
 「そのビデオ店の前は何をしていた。」
 「高校卒業して、メーカーに入った後に熱帯魚を扱う卸を自分でした。小さい時から魚が好きで、いつかはして見ようと思ってお金をためていたんです。」
 「始めて見て、どのくらいの売り上げが有った?」
 「月30万円位はあったと思います。」
 「最初から随分あるもんだな。営業はどうやってしたんだ。」
 「タウンページで熱帯魚を扱う店に営業しました。卸しから小売店に流れる段階で、不満が結構小売店にあるのでそれを聞いていたので、大丈夫だと思ったんですが、直ぐに貯めたお金300万円が無くなりました。飼育段階で死なせてしまったのが失敗でした。」

一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報