お知らせ


お知らせ

RSS

一覧に戻る

トップハート物語(3234)立志伝敢闘編
16/12/20
2010年(平成22年)7月1日。
午後、以前の事務所で同居していた慶子さんが来た。研修を中心として、ケアもこなすオールマイティな社員で、将来を背負って立つ幹部候補生の最右翼と思っている。その慶子さんの研修関係業務をずる賢い高学歴社員に振った。
その為に、彼女は自分の仕事として中心を失った。フリーになってしまって、ケアをする事だけでは満足しないのは知っていた。
 「これから、どうする。ケアをすると、ずっとケアをする事になる。その道を歩むか、他の事もしたいか考えて返事してくれないか。」
 と、以前そう言って彼女の考えを聞いた事がある。
 「シングルマザーなので、これから一生困らない生活をしたいと思っているので、そのように鍛えて欲しい。」 
 そう返事が帰って来た。
 まだ、30代半ばだがシングルマザーなのだ。その彼女の行く末を私も見守っているが、本人は私が思う以上に不安なのを知った。その不安が増長したのは、私が入院して生死をさまよっている時に大きな不安にさいなまれたという。
その後も、口にする事は
 「佐藤さんが、いつまでも元気という訳にも行かない。また、いつものように、直ぐに気が変わって辞めた埼玉に帰ると言い出すかもしれない。それが不安なので、自立できるように鍛えて欲しい。」
 そう言われていた。
 その事を考えて、彼女のウィークポイントは数字の事だ。数字は家計にもつながるし、自分の一生にもつながる。つまり、考え方一つで自分の生活を決める大きな力となる事が出来る。そう思っていた。
しかし、私は自分のいつものように、黙ってその部屋を出てこの新たな事務所に来た。その事に対して不安を煽ったようだ。
 「これからの、私のする事はどんな事でしょうか。何をしたらいいでしょうか。」
 そう言われたので、これまでの考えを言った。
 黙っていたら、それまででもう何も言わないのが私だ。いつまでも、一つの事に、または一人の人に関わる事は少ない。
 「ふたつある。ひとつは、君のこれからの生活に関わることにもなる数字を意識して作るNPOの事務局としての仕事だ。役員は、事務局として働く事は出来ないが、君は最初から参加を拒んだので会員でも無くましてや役員出もない。幸い、このNPOはまだ実質的に何もしないで1年を経過した。しかし、この土曜日の総会で介護保険外の仕事を中心に事業展開を図っていく事になった。私の仕事も、ほとんどNPOで収益を上げるようにしたいと思っている。その収益は、有給理事として配分されるし、勿論業務を行った際に支払いをしたいと思う。この、NPOがどういう変遷を経て大きく羽ばたくかそれを学んで欲しい。つまり、一つのものが出来上がる行程に立ち会う事で、次の自分の道が何かを決める際に参考になると思う。」
 そう言っても、まず、NPOとは何かを理解しない事には、進まない。その理解を得る為に、
 「いつでも、時間のある時にこの事務所に来て一緒に勉強しようと思う。営業は俺たちがするので、それ以外の事務局としての中心的役割を果たして欲しい。」
 そう言って、まずは大きな中心となる仕事を言った。
 次に、
 「これから大きく変わって行く介護保険制度だ。地域包括支援センターが、要介護者のプランを作るようになるらしいので、それに向けた対応をしないと行けない。簡単に言うと、地域包括支援センターは中学校区ごとに作る事になっている。そこが川上なので、そこを抑えないと会社は立ちいかなくなる。どうしたらそのようなものが出来るのかを、2年近くの間に推進して欲しい。ケアマネジャーが、介護保険外のプランも出来るようになるという事は介護保険からケアマネジャーは外れて、自由業としての立場になる。これから俺がしようと思う行政書士とか弁護士や司法書士、公認会計士、税理士などと同じように自分達が独自に顧客と契約を交わして、利用者がその料金を負担する。そうなった場合に、今までのケアマネジャーではやって行けなくなる。どうしたらいいのかを、一緒に考えてその生きる道を構築する事も大切だし、個人の将来の生活設計の指針にもなる。」
 そんな話をした。
 男性に比べて、女性の意欲は比較するにも失礼な状態だ。
 この会社は、女性だけでも大丈夫なのだ。それでも、何と無く男性を採用してしまう。みんなが男性は要らないと言ってくれれば、それでいいのだが。
 夜は何故か疲れを感じて、早く眠ってしまった。


一覧に戻る


  • ヘルパー講座・セミナー 最新情報
  • ケア事業・サービス 最新情報