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トップハート物語(3203)立志伝敢闘編
16/12/02
2010年(平成22年)6月中旬。
電話が終わってから、鈴木先輩に
 「お前、少し横柄な上から目線の言い方じゃないのか。」
 と、注意を受けた。
 というのは、私は妻より3歳年下だし、先輩も同じ会社に在籍していて鈴木先輩は一つ上という事は、妻は会社で鈴木先輩より2つ上だったのだ。その
《先輩を敬う》
という姿勢を、何十年も過ぎているのに忘れないような言い方を、少しされた。
 まだ夕方まで時間があるので、制服が並んでいる教室で、近くのショッピングセンターで買って来て貰った箱弁で食事をした後、私は一旦事務所に戻った。
概ね、制服が行き亘る事を確認して、一同の写真を写すためにいつも利用している守口市駅前のホテルにあるブライダルサロンに電話した。結婚式場で写真を写すためだ。お揃いの制服を着た全員の写真など3種類くらい。
背の順と入社年月日の順、そして子供を入れた写真だ。そのうえ、個人個人の制服を着た写真だがオリジナル制服もあるので最低2枚は必要だ。その写真を使用して、来年の当社社員と家族に配るカレンダーを作る。
 その撮影時間を聞いた。集合写真はワンカット15分位、個人の写真は一人2分くらい。それに着替えなどが入るので、25人で合計2時間以上は見ないと行けない。終わったら、全員で50人位になると思うがそのホテル内の寿司店で食事を想定しているので、ラストオーダーが9時だから予定していた7時スタートでは十分な対応が出来ない。
5時から仕事が終わった順に来て貰って、個人の写真を写し最終的に7時くらいに集合写真を撮り始めれば良いと思う。そのような事を、ブライダルサロンと打ち合わせをして、見積もりを頂く事になった。集合写真が1枚2100円で、個人の写真が1枚3000円だという。それを全員に配ると相当な金額になる。
 その内容を、まず重鎮お局様筆頭サービス提供責任者に伝えないと行けないので、隣のマンションにある自立支援の事務所に行った。丁度、お局様筆頭サービス提供責任者だけが居た。
ミシンを持ち込んで、新たな制服に当社のロゴを付け始めていたのだ。統一のモノやオリジナルを含めて、全員分だと平均一人6着なので大変だ。
 「今日中に統一の制服に付けるので大丈夫。残りは、今週中に付けるから。」
 そう言ってくれたので、安心した。先月もフェイスタオルなどを配るのに、全部で200枚くらいにロゴを縫い付けてくれた。
 再度、研修センターの鈴木先輩のところに行った。社員が制服を取りに来るのだが、仕事の合間に来るのでいつ来るのか分からないので、一日中待っているのだ。その時に、専任講師が
「新たに始まった職業訓練の生徒30名の内22名が7月に行うガイドヘルパー研修を受ける事を希望している。」
と報告して来た。
その直後、高学歴で研修事務局に据えた男性社員が、話があると言って来た。
 「既に、22名の申し込みが有り22名加えると定員オーバーしてしまう。」
 「視覚障害者ガイド何人、全身性障害者ガイド何人ですか。」
 「いや、そこまで把握していません。」
 「いいですか、40人定員で全員が両科目だったら定員オーバーですが、科目別だったら定員をオーバーしていないでしょう。」
 「初日が共通科目なので、教室が48人定員で。」
 「その教室が一番広い部屋ですか?」
 「いやそれは調べていません。」
 「広い部屋に借り換えれば良いじゃないですか。」
 鈴木先輩がいなかったら、怒鳴っていたところだった。
高学歴を鼻に掛けて、介護職を下に見る。息子に聞くと、こいつの出た大学は偏差値50を割っている、低レベルの大学だと知った。
 「事務局は、何とかして開催できるように、最大限の努力を行って初めて存在があるのだ。それを、開催出来ないような事ばかり言って。」
 と、言いたかったが言葉を飲み込んだ。
 すべてに置いて、こんな調子の高学歴男性。自分で創造する事は何もできず、他人のプランに難癖ばかり。
 夜は、鈴木先輩と事務管理者智子さんと近くの魚の美味しい店に行った。席は百席以上あるのにいつも満員。予約無しでは座れないのが常なのに予約なしで入った。案の定、満席ですと言われてしまった。尽かさず、先輩が
 「あの席空いている。」
 「済みません、二人席なので。」
 「横に席を設けて、3人の席にしてくれますか。」
 そう強引に言って、何とか座れた。
 それから2時間程度過ごした。仙台の海の近くに住んでいる鈴木先輩も、新鮮な魚介類に大喜びと感心していた。
 事務管理者智子さんが、
「スズキ先輩の言葉の意味が分からない。」
と言っていたが、私も分からない時がある。
それでも、何とか話について来て終わった。
 早くに亡くなった私の剣道部の先輩で、鈴木先輩の同級生の話になった時に、言葉に詰まって話が出来なくなった。亡くなった歳も全く覚えていない。話がかみ合わず、
「どうしたの。」
という私の言葉に
 「俺はあの時、一晩中泣いた。余りに可哀そうで。頭が真っ白になっている。何も思い出せない。」
 そう言って目頭を拭った。

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